Warren Harding
Warren Harding ウォーレン・ガメイリアル・ハーディング |
1921〜1923年の間、首相就任。大統領初のラジオ放送を行った。
在職中、汚職事件が続発。最も腐敗した政権と言われる。
死後、油田疑獄事件(Teapot Dome Affair)が発覚。
ハーディングは医師の勧めでアラスカ旅行をするが、シアトルで発病、
サンフランシスコのホテルで急死する。
死体解剖をフローレンス夫人が拒否。主治医のソーヤー博士も急死、
直後に夫人も急死する。この為、夫人がスキャンダルの深刻化を恐れて
夫を殺害したとか、或いは知りすぎた大統領として毒殺されたとか、
いろいろな噂が飛び交う。
第一次大戦後、アメリカの連邦政府は影響力を失っていった。その一つ
として「禁酒法」の施行があげられる。
禁酒法(1920〜1933)
飲酒を禁止する法ではなく、「酒の製造、販売、運搬、輸出入」を禁止す
る法律。しかし施行前に大量に酒を買い込んだり、又、密造、密売はマフィアの
重要な資金源になった。
アルはこの曲でハーディングのトップから堕ちてゆく人生と移民の密酒者
とを対比しています。