The Last Day of June 1934


歌詞はこちら

アルの歌う1934年6月末日とはレーム事件の事である。

レーム事件(長いナイフの夜事件)1934年6月30日〜7月2日

 エルンスト・レームはヒトラーの私的な軍隊でもあったSA(Sturmabteilung)の
総司令官であり、ヒトラーの親友でもあった。
 レームは将来SAをドイツ正規軍である国防軍に取って代わろうとしていた。
 国防軍とSAとの衝突が深刻化してゆく中、ヒトラーはSAが反ナチ勢力になるのを
懸念していた。
 軍の忠誠はヒンデンブルグ大統領にあったが、大統領は老人だった。SAには
前皇帝の息子、ヴィルヘム皇太子がいた。大統領が死んだら忠誠は皇太子に
ゆくのでは、そしてレームは君主主義者だった。
 ヒトラーは老大統領にこれ以上の緊張状態が続くのなら国の統制権を国防軍に
委ねると言われ、ヒトラーは独裁の野望に危機を感じた。
 又、SS(ヒトラー親衛隊)のヒムラー長官はライバルのレームを何とかしたかった。
レーム自身には反乱の意志はなかったらしいがヒムラーはレームの反乱を捏造した。
 ヒトラーは首相の位置に留まる為にレームの粛正に乗り出した。

 1934年6月30日、ミュンヘン郊外の温泉に宿泊していたレームらSA幹部をヒトラー
自らとSS部隊で逮捕。レームには自決を強いるが拒否した為、シュタデルハイム収容所で
翌日にSSにより射殺される。
 SA幹部のみならず前首相のシュライヒャー夫妻、党内左派のグレゴール・シュトラッサー、
ミュンヘン一揆の州総督カールも殺害される。77名が殺害されたと公表されたが実際には
200名を超すと言われる。

 ヒトラーは身内を切り捨てた事により国防軍の支持も得、内外の敵を一掃する。
これらは国家の正当防衛とされた。国民もヒトラーの断固たる処置を歓迎した。
 ヒンデンブルグ大統領はこの年に死去、ヒトラーは選挙で大統領に当選。ナチス党首、
首相、大統領を兼ね、事実上の最高権力を手にした。

 

Ernst Roehm
エルンスト・レーム
1987〜1934
ナチス党SA(突撃隊)の創始者

Gregor Strasser
グレゴール・シュトラッサー
1892〜1934
1930年脱党

ナチス党大会でのヒトラー

 

トップ・ページに戻る