Post World War II Blues


僕はスコットランドの小さい町の戦後の赤ん坊だった
3歳の時、南に移った
僕の母を見ても分かる様につらい時代だった
彼女の寡婦年金と彼女の配給手帳
ベヴァンは炭鉱夫の主張を唱える
下院での彼の石炭まみれの主張
僕等は安心して眠れたし雪でも暖かい
ラジオ放送の「Life with the Lyons」
そしてチャーチルはルイ・マウントバッテンに言った
「私は今日あなたに会うに耐えない
どうしてインドを手放してしまったのだ?」
眉をひそめてマウントバッテンは言った 「私に何が言える?
何かがあなたの手から滑り抜ける
そして良い話し合いも良い計画も無い」
しかしチャーチルは言った 
「私は論じたいと思わない、おお、あなたを見るといつでも
私は沈んでどうしていいかわからない
毎日が悪いニュースを運んで来るように思われる
私をここに戦後ブルースと共に残してくれ」

1959年は非常に奇異な時だった
労働党には凶年そしてワインには豊年
アイクおじさんは僕等のアメリカ人の友達だった
そして誰もスエズ運河について話さなかった
最後に僕が泣いた時をまだ憶えてる
バディ・ホリーが死んだ日
僕は彼に会った事がないからそれは奇妙に思えるかもしれない
何人かの人はそんな風にあなたに影響を及ぼす
なんにもましてその年は良かった
夕暮れは楽観的ムードにあるように思われた
TV番組「TW3」を見て皆笑う
誰かが壁のひびを見始める迄
ある日マクミランは階下へ降りて来た
暗がりの中の声は不意に彼を捕えた
それは彼に投げキスを送るクリスティンだった
彼は言った 「私はこんな事が起こるなんて信じられない
おおしかし、あなたを見るといつでも
私は沈んでどうしていいかわからない
毎日が悪いニュースを運んで来るように思われる
私をここに戦後ブルースと共に残してくれ

僕は19歳の時にロンドンに来た
コーデュロイ・ジャケットと夢で一杯の頭
コーヒー・バーで夜を過ごす
アレン・ギンズバーグを読み公民権について語った
ロバート・ケネディが暗殺された日
世界は更に深い怒りを示していた
僕等は友人を失った
僕等が結局勝つであろうと僕はいつも信じてた
だって音楽は背景だったから
ジミ・ヘンドリックスは大声で自由にプレイした
サージェント・ペッパーは僕にとってリアルだった
歌と詩は全てあなたに必要だった
それで60年代は何処にいったのか

ラモーナはデソレイション・ロウにいる
私は何処にいくのかほとんど知らない
それは確かに以前とは違うけど
おお、いつも私は周りを見回す
私は沈んで頭は地下にいってるよう
毎日が悪いニュースを運んで来るように思われる
私をここに戦後ブルースと共に残してくれ
おおあなたを見るといつでも
私は沈んでどうしていいかわからない
毎日が悪いニュースを運んで来るように思われる
私をここに戦後ブルースと共に残してくれ

Past Present & Future 1973